みんなのじこせきにん

みんながみんなでみんなのじこせきにん

死ぬとか

仕事で疲れて土曜日の夕方に、うとうとしていたら、

寝入りばなの錯乱で、”死”への恐怖が強烈に襲ってきて、ああ、気が狂うのはこういうときなんだな、とおもった。

 

死、そのものというよりも、死への過程というか、死が起こしうる全ての想像できることが恐ろしくなったというか、

つまり、

 

例えば、時間があって、長さは主体的なものなんだけど、

年取るにつれて短くなるけど、

仮に死への瞬間、漸次式的に時間が延びていったらどうなるだろうとか、

さらに、同時に、等倍的に痛みが増えていったら、どうしたらいいのだろう、

 

その恐ろしさったらない、と思って瞬間。

生命は死を恐れるがゆえ、前者の過程はあながち間違いではない気がして、

その中での脳の反応として、痛みが増加継続する、決して慣れないというのは、

起こりうる、というか半ば想定される死の局面なのではないか。

そうしたら、今、生きていることの全てと、その死のとてつもない恐ろしさを、

比較した場合、

もう、ただ震えるしか、気が狂うしか無いんじゃないか、

という気がしたという夕方。

 

 

 

今は、冷静に思うけど、そうかも知れんな、地獄におちるな、

とも思うけど、なんとか、疲れながらも生きてます。