みんなのじこせきにん

みんながみんなでみんなのじこせきにん

高市政権と左派とミュージシャンの動向

まず、自分の立ち位置について。

ナショナリズムグローバリズム。保守派かリベラルか。原発推進派か再エネ推進派。個人主義全体主義。大きい政府か小さい政府。資本主義か社会主義改憲憲法9条堅持か、非核三原則の変更か維持か・・・
いずれもが後者であるべきだと思ってる。思っている私は、

基本的には私は左派を自認しているということで間違いは無いんだと思っています。

昔からそうだし、今もやっぱり、ちゃんと考えるとやっぱそうだと思っている。

そんな左派自認なんだけど、高市政権については、支持する、で間違いないと思っている。

ここのあたりがものすごいいまの社会の雰囲気とズレを感じてしょうがない。

高市政権は右ではなくて中道だ、または、反高市は左というだけではなく中国共産党の回しもの、または極左(それもちょっと違うと思うけど)だ、という意見、に同意している。

立憲民主がちょっとやっぱあ、どうしよもないよね、というのには同意だし、

自民党にはうんざりずっとしてて、次の選挙でもおそらく投票はしないんだけど、最近の状況で、最適解は、石破続投でも、小泉首相誕生でもなくて、2025年11月現在の状況だと、思っている。

そんでもって、台湾有事の際の日本が存立危機自体なのかどうかについて、そうであるという立場、かつ、それについての首相答弁についても、支持するという立場です。

(ほんと後者に意見する場合、前者への表明を絶対するべきだと思う)

上記の答弁についての見解は、ちょうど今日のテレビ東京youtubeの見解が、まさにそれ、という感じだったので、それを参照されたい。

ちょっとはなしズレて、高市首相が有能なのか、無能なのか、ということ。

高市派の一部言論で(小西くんとか)、高市首相マジ無能という意見があるんですけど、これについて、どの辺が無能なのか、ちょっとはっきりしてほしいんですよね。

人は、敵対する勢力の能力を過少評価する、したくなる傾向があると思ってて、ちょっとそれになっちゃってるんだと思うんですよ。

いくつか、無能ですよの言説を読んだんですが、中国の反発を買う答弁そのものにセンスがない、という感じでしかなくて、なんで、いま、中国の反発を買うような答弁をしたのか、その意図は、みたいなことに踏み込んで、それでもなお無能、と言っているのが見つけられなかったんですよ。

いや、ちょっとそれはねえだろうと。

集団的自衛権の解釈なんて、素人でも一冊本を読めばそこそこ理解できるし、それについての諸外国の立ち位置、ましてや中国台湾のシビアな状況が、分かってねえはずはないだろう、というのが最低限、ほんとごくごく最低限のスタートラインだと思うんですよね。

まず、発言の意図を、台湾を国として認めていない日本の立場を、集団的自衛権の法的解釈、存立危機自体とは何か、など、それが分かっていてなお、と受け取るべきだし、かつそれが分かっていて、さらに国内外からの猛烈な批判があることを想定したうえでそれを言ったという意味、意図、に対して、批判を展開しなきゃおかしいと思うんですよ。

そんな当たり前の左派の言説をわたしは聞きたい。頼むよ小西くん。Xの文字数が足りないとか、そういう場合じゃない。

少なくとも私は、そういうラインにおいて、中国台湾の状況に対しての日本の立場、中国の立場において、国際社会においてフラットに、今の高市首相の発言を日本の立場ととらえるなら、グローバリズムにおいてフェアなんじゃねえの、と思うわけです。トランプさんの北京を爆撃する、っていうのであればそれは批判されるべきですよ、しかし。

 

というのが書きたかったことの前半。

こっから後半。

それらに反応しているミュージシャンたちの言説がある。

ミュージシャンという生き物は、ジミヘンドリックスやジョンレノンの時代から左派で平和主義だって言うのはもう相場が決まっているので、

マヒトゥのかわいらしい主張も、Discharmingman蛯名くんの過激な主張も、しょうがねえなあ、という気持ちなんですが、

上に書いた内容を踏まえると、今の日本の状況はあたしの考えとしては、左派VS右派、平和主義VS戦争主義みたいな話には到底思えないんですよね。

非核三原則撤廃、みたいな話は反発あるんですけど、

日本対中国、でいうと、明らかに戦争主義的なのは中国なので、やっぱそこには左派としては中国共産党への反対を示すべきなんじゃねえの、と思うんですよね。

フリーチベットのフェスは有意義だったんじゃねえの、と。

台湾有事への毅然とした態度は、戦争へ進む立場よりも、フリーチベットの立場と近いような、レイジアゲインストザマシーンやフェラ・クティの意図したことに近いような、彼らはいまの中国に迎合することは決してないだろう、と思ってしまうんですよ。違うのかな。

と、そういうことを調べてて、毛沢東のやってきたことが、チベットウイグルに対してよきことだという言説もあることを知って、チベットウイグルの弾圧それ自体が欧米主義的な解釈だと、少数だがそういう見方があることが分かった。なので我々日本人はどの立場をとるべきなのかということは、とても難しい、とも思う。何が正しいのか、一筋縄ではわからん。

もっともっと勉強せねばならないと思う。

そのうえでミュージシャンは脊髄反射的な生き物で、そうやって盲目的に良い歌を歌っていることを、わたしは賛同して評価します。

だからマヒトゥのことを、赤だの、誰そいつだの、そんな奴は知らないだの、だせえだの、くそだの、と批判するのはやめてほしい。それは多様性ではない。ちゃんと勉強しろよ、はその通りだと思う。知らねえは恥ずかしい、GEZANは有名だと言っていいレベルだと思う。

キウイロールもほんと好きなんだよ。だから、ほんとに日本の外国人政策、間違っているのかどうなのか、ちゃんとしたいな理解したいな、と思った。今のとこ難しい。俺の感覚だと、小野田さんを支持する立場だ。蛯名くんには悪いけど。

それと同じレベルでミュージシャンたちは今の中国でライブをするのが、本当に他国文化交流なのか考えてほしいと思う。中国でのライブができなくなることが、他国文化交流への否定になるという立場でよいのかと。仮にそういう主張ならば、チベットウイグルへの侵攻を是とする立場になりかねないんだよ、と。

もし、いつでもどこでも誰にでも、表現をすることを否定されたくないのであれば、グローバリズム的に、きちんとそれにそった批判を展開すべきだろうと。

ロシアであり、中国であり、アメリカであり、インドであり、エジプトであり、アフリカ諸国であり、さらには日本でもあり、独裁的にグローバリズムに反すること大小を行っている国はたくさんある。

もっとみんな批判する相手に敬意をもって、理解して、なるべくなら勉強して、かつフラットな立場で批判していきましょ、ということ。

それの、いち左派市民からの提案でした。

そして、ミュージシャンは脊髄反射する生き物なので、生暖かく見守ってください、と。そのことと良い音楽を作るかどうかは無関係なので。

 

日本のミュージシャンが政治的批判を行うこと、は少なくとも成長だと思うので。よきに。

音楽深化論について

ちゃんと面白いので、リアルタイムに追っかけているんですが、

ちょっとモヤってることがあって書きます。

 

審査員もコメント欄も、100%大絶賛で、なんかホントにそうなんかね、という気持ちがある。

逆張りたいわけじゃないんだけど、批判しちゃいけない空気になってないかしら?

最初に書いた通り基本的にはちゃんと面白いと思ってるんですが、ホントに大絶賛が全てなんですかね。

個人の感想かもだけど、例えばさ、この中で

スーパーカーがクリームソーダを演ったり、ジュディマリがBlue Tearsを演ったり、くるりが東京を演ったり、GEZANでもかまってちゃんでも少年ナイフでもフィッシュマンズでもなんでもいいんだけど、そういうことが起こることをちょっと期待しちゃってて、でもそういうホントにハイレベルな演奏、音楽ではなくない? と思ったりしてる。

で、それは期待値高すぎだよね、というのはインディーズシーンに失礼だし、多分、そういうクオリティの埋もれてるバンドっていっぱいあると思ってて、そこに脚光を当てるための企画だと思ってた。

そういう意味でなんで批判的視点が一個もでてこないんだろ、って違和感をちょっと感じてる。バトルであり、順位付けをする企画なのにさ。

最初の二組の演奏にちょっと度肝抜かれたから、その期待値が続くのかなって思ったらなんかちょっとそうでもないかもなあ、って寂しさ。

それ以降の人たちも普通に良くて光るものもあると思いつつ、トンガってないというか、消費的というか、淫してないというか、小上手いだけというか、正直物足りなさを感じる。

 

まあでも、個人の趣味なのかもなあ。そうかもなあ。

後生ですから

なるべくまともな文章にしたいと思うのでインデックス

その一、来世を信じたほうが幸せに生きられる、と思うこと。

 

そのニ、宗教観の欠如はやはり社会を良くない方向に向かわせるということ

 

その三、善であること、善でいさせてくれることに感謝する善、善とは何かということ

 

 

一つ目

幼稚園児かそれより前くらいの子供が何か悪いことをして、それをしたら地獄に落ちるよ、とか鬼が来るよ、と言う。お天道様が見てるよ、と言うのも同じ。

小学校高学年、中学生くらいになるとそれは効かなくなってくるけど、いや、待てと。

地獄なんか無いと、天国なんか無いと、神様なんかいないとみんないうけどそれは本当か? ファクトチェックできてるのかと。

少なくとも今の科学で実在を証明できないだけで、不在は証明できないだろうと。

だとしたら、来世があると仮定して、善に生きて、来世の天国を狙うほうが、リスクヘッジされた賢い生き方なんじゃないか、と言ったら多少真に受けた。ちょろい。

誘導はしたけど、大枠は掴んでると思ってて、個人主義実存主義の腐ったようなことを彼らは言うわけで、そういうことじゃないんだよ、何が個人か実存か、突き詰めてから言いなさいよと、きちんと反論できる大人になりたいなと思うわけです。

前も書いたけど、死ぬ前に死への体感時間が、死ぬまで倍々で引き伸ばされることは生物としてあり得ると思ってて、それが地獄そのものだと思ってて、そいつを耐えるためには、身体的にも精神的にも安らかにないとダメだなと思っている。というのがそれっぽい言い方にした形。

来世、とは違うし、全然できてないけど、本質的に善性であろう、あるべきという強い根拠はそこにある。

 

二つめ

そういうある種盲目的な善性は、まったくクレバーではないし、愚かで幼稚だとすら思うんだけど、結局社会を良くするのはそういうものなんじゃないかと思う。

神様を信じない限り、阿呆な僕らは確たる生きる指針を得ることすらままならなくて、仮に大変な努力でそれを手に入れたとしても、自分にとって周囲にとって、それが正しいかは分からない。

正しいとは何か、と思うけど、例えば、もっと努力したらまた異なる良いものが得られるかもしれない、とか、別の視野から見たらそれは意にそぐわない結果が得られてしまう、など、自分で定めた指針は、いつまでたっても頼りないと思う。確固たる決意、も間違った決意なら、それは良くない。

 

宗教は、経典は、言葉しか情報伝達手段のない世界でのオープンソースで、全部調べたわけではないのでちょっと正直自信ないけど、師と弟子と教徒からのフィードバックの成果が経典で、誰かがが思いついたものを連ねました、ということではない。

現代よりも、飢餓とか病気とか戦争とかの苦しみが多かった時代に練り上げられたものなので、むしろ強度は高いんじゃないかと。

で、そういった視点を理解せずにカルトだとか盲目的とかを盾に宗教そのものを批判するのは、それはまた近視眼的なんじゃないかと思う。

そしてそんなこともそんなことじゃないこともなんだかよくわかんない勢もいっぱいいっぱいいて、むしろそれが主流なんじゃないかと思うので、とりあえず何か信じたらいいんじゃないの、ってのは新聞とかテレビじゃなくて、太古から連なるもののほうが幾分かは良いはず。

それは確実で、それより正しきものがあるような気はするけど、それは俺はまだ知らない。

 

その三

そんで、何が善なのかということ。善になるというモチベーションのこと。

確定事項の積み重ねにしか正しいことはないと思うんだけど、量子力学から始めて、生物の進化をたどるのはブログ記事でやることの範疇を超えてるので、人間はソーシャルな生き物である、というとこから始めます。

ソーシャル、社会性というのは何かというと、個よりも集団が優先されるということ。集団は一つ一つの個の集まりでしかないので逆説的に、個の願いも尊重されるということ。

その一見相反することの統合が、正式な社会性だと思ってて、その社会性に即すことが善、即さないことが悪だと思うんですよ。

さらにそれを守るためにははすべてに単純に規定されるものでなくて、常に集団の中で検証され続けないといけないんだろうなと思う。

概念的な善性を問い続ける中で、どうやって個が善であることができるのかというのの答えが問い続ける集団からのフィードバックであり、さらにはそのフィードバックへの個の感謝であるという話を聞く機会があって、すごい腑に落ちた。

個も集団も適切に重要視されようとする社会、それへの貢献、さらにその社会からのフィードバック。それが善性を頼るシステムの在り方だなあと思った。

 

社会が大きくなりすぎて、科学で物事を解析しすぎて、単純に理解しにくくなってしまっているものの、少なくとも自分の周辺の狭い社会では、できるだけ広い視野で、善に生きていくことを志向していきたいなあ、と思ってる。全然できてないけど。

そうすることで、ワンチャン来世でも平穏に過ごさしてもらえないですかね。どうでしょう神様。後生ですからね。

シューゲイザー

音楽をやる人でなくなって久しいけど、ずっと音楽をやる妄想はするわけで、

爪はずっと短く保っているけど、全然楽器はうまいわけではない。

むしろ楽器を作りたい人になりつつあるけど、それもわけわからなくて、

メルカリでエフェクターをちょいちょい買う。

でも先立つものはないから、騙されているのかそうではないのかわからん、誰かの自作エフェクターを買ってはアンプにつなぎ、ならし、こんなもんかなあ、とかやってる。

シュレッドマスターのクローンはよくて、OKKOのDiabloのクローンも多分よくて、

あとのShurだとか、ランドグラフだとか、HotCakeだとか、は本物使ったことないし、わかんないなあ。

そもそもおっきいアンプでならさないと、だと思いますし。

 

やはり、歪みはギタリストのアイデンティティだと思うものの、その次をどうするか、モジュレーションなのか空間なのか、とかを考えると、そもそもどういうテクスチュアの音を出したいギタリストなんだっけな、とか思って、

トレモロは好きだけど、かなめは、FUZZと空間系だな、とか思い、

ディレイじゃなくて、ちゃんとしたリバーブをならせるようになりたいな、とかそんなことを。

 

そんなことと、次に何を作ろうかというのを重ね合わせて、

ちょっとずっと変なギターを作ることは我慢していたので、

今度は、趣味を出したやつを作ろうとか思って、

シューゲイザー専用ギターを作ろう、と思ってます。

異論あると思うんですが、シングルコイルピックアップの限界を感じるときがあって、

テレキャス遣いだったのに何を言ってるんだという気もしますが、

なんか、音のレンジは狭くないんだけど、メインの芯となる音のレンジが狭い気がして、倍音成分頼みというか、

向井の音が意外と歪んでないみたいに、FUZZをかませると、ちょっとしんどいんじゃないかなとおもって。

P-90とか、JazzMasterのピックアップってそういう音じゃないような気もしててまたいろいろあるんですが、結局、何のピックアップを使いたいからギターを作る、的な発想になっているので、それで買ったのがワイドレンジハムバッカーというわけです。

CuNiFeではないんですけど、ちょっと高級なやつを買ってしまいました。

もともと、次はセミホロウを、とかも思っていたりして、トップ材はちょっと足りないけど、ベース作ったときのパオロッサのあまりがあるね、とか。

あとはどういうきっかけだったか、エフェクター作りに本格的に足を踏み出せないぞと思いつつ、キットだったらって、調べてたら、RumsHeadとかBuzzAroundとか、ちょっとすごいやつの自作基盤キットが売ってて、

これは、エフェクターを作るんじゃなくてギターに直結すればヤバイんじゃねえか、という発想が無駄によぎり、それに囚われ、檻に閉じ込められ、

つまり、次みたいなスペックのギターを作ろうとしてます。

・べースはフロントリアともにワイドレンジハムバッカーのシンライン

・でもピックガードは小さくて、テレギブみたいな感じ。

・ネットで見たBaboushkaのギターが超かっこよかったので、雰囲気はそれをリスペクト

・FUZZを二個搭載、スイッチ2つ。つまみ6つ、ボリューム、トーンと別に。

・そうするとトグルスイッチは普通のシンラインとはかわしたほうが混み合わないので、レゲエマスターと同じ位置にしよう。

・ついでにとんがってるアピールでリバースヘッド。

・ネック材はいい感じのメープル。指板は紫檀で、辺材の色がイカすのでそれを活かす。

・ボディはトップをパオロッサで、本体は探して買ったクス。

 

いや、これ超格好いいいギターが出来上がってしまうな。

そうしたら、超格好いいシューゲイザーの曲をやりたくなってしまうな。

最近、シューゲイザーを踏襲したかっこいいバンドいっぱいあるので、

シティポップ以降のつぎがシューゲイザーだったら最高なのにな。

でも、DeepersやLuminous Orangeの時代から、きのこ帝国や、羊文学にきちんと引き継がれていることを考えると、系譜としては、だいぶ良いんじゃないかと思う。

インターネット選挙について

ユーチューブで喧嘩売られたから書く。

 

発端は高校生が、生徒会かなんかの選挙でインターネット選挙を導入してみた、っていうニュースに対して、

アホだとか、公民で習うことがなぜわかってないのかとか、問題を洗い出してからやってみるべきとかいう、

不当な批判にさらされてたから、

本来インターネット選挙はできるようになるべきだから、やってみるという態度はよいんでないの、とコメント書いた。

言葉尻は違うけど大体ニュアンスは合ってるはず。

で、クソみたいな批判貰ったけど、それはレベル低すぎて話にならんので、一般的なweb投票に対する反論とそれに対するわたくしの主張を書く。

 

web投票の大きな問題は、

秘密性が担保されないという技術的な課題があること。

いったん、なにかポケモンでもなんでも人気投票のレベルの技術レベルを想定してくれればよい。

で、それの秘密性が担保されないと宗教家だったり、なんたら組合だったりの暑い思いのある団体が、一般市民に対して強制力をもって公平な選挙を阻害する、という論旨と思ってる。

それは理解できる。

 

まず、あたくしの主張の前提である、国会含む議会議員の選挙におけるweb投票がなぜ実現されなければならないかというと、

選挙会場に行くのがめんどくさいからです。

労力だ、と言うことです。

選挙権というのは超重要な権利であって、だからこそ、それを行使するのには現代社会の水準で軽度な労力で可能じゃないといけないと考えるから、です。

社会がどんどんどんどん便利になっていく、なのに投票の作業は便利にならない、だから投票率が落ちていく、というのは当たり前。

そんで健全な社会にとって投票率は高いほうがよい。

だから投票は便利にならなければならない、という論旨です。

できるできないの話じゃなくて、向かう方向としてね。

権利を行使するのに、程度はあるにせよ障壁が高くてはダメという話ね。

 

ここまでは伝わったとして、

秘密性の話。YouTubeコメントで、多少守られなくても多分大丈夫だろ、って発言して、それが混乱のもとだったんだと思うんで、それも書きます。

その後にどうやって課題解決しましょうか的なことを書きます。

 

その1 技術課題が解消されなくても多分大丈夫だと思う理由。

まず先に言っておくのは、基本、国会議員選挙には、技術課題が解消されてから導入されるべきだと考えてます。

加えてルール整備、つまり法整備は絶対に必要だと考えています。

たとえば、他人に強制しないこと、されないこと、投票行為、結果を他人に見せないこと、など。罰則、除外事項含め整理されなきゃだめだと思ってます。

その前提で、法整備後であれば、仕掛けが甘くても概ね大丈夫だと思う理由は、

不正を実現するには、選挙の特性上、規模が必要で、つまり選挙結果を動かすほどの票を集めるには、組織的な行動が必要になると思うんです。

で、組織的に法律違反をするっていうのは、相当のリスクがあって、Kめい党とか、Kさん党とかが与党になるとかで、その母体組織が組織的な法律違反をしますかね、っことになるとおもうんですよね。

で、それはリスクヘッジとしてやらないんじゃないか、というのがわたしの考えです。

やって立証されたら組織としてしょっぴかれる。そんなリスクを取りますかね、っていう。まがりなりにも三権分立の国でね。

でも、法律違反のリスクを厭わない組織はあるし、上記組織の個人が独断でやっちゃうことはあるとは思いますよ。

ただそれは小規模でしかありえないと思うんです。与党をとるっていうこにはならない。

っていうのが法整備だけでも大丈夫じゃね? っていう発言の意図でした。

重ね重ね書くけど、技術課題がクリアしてから実現されるべきと思っています。

 

その2 なぜ秘密担保が技術的な課題なのか

これは想像力あればわかると思いますが、多分絶対出来ないと思っている人がまあまあいると思うのでつらつら書きます。

必要なのは他人が見てもわからないような形で、入力ができること。

そしてわからない形で、入力の確認ができること、かなぁと思います。

もう一個付け加えると、他人が見ることに一定の労力が必要なこと、も含んでもいいと思います。

例えばわかりやすく、SFに片足突っ込みますけど、スマホの入出力が脳波になったら、他人に見られずにスマホに向かって念じれば投票できて、確認も頭に直接うったえてくれば、それはできると思います。

脳波デバイスの開発を待つ。

もうちょい現実的な、暗号技術を駆使してできないか、というのもあるかもしれないです。

マイナンバーとそれのパスワードとで、投票する番号とパスワードをくっつけてハッシュ化した文字列を入力して、とか。

ちょっといろいろ甘くはあるけど、マイナンバーとパスワードの秘密性に基づいたやり口は考えられそう。

あとは、AIと360度カメラで誰もいない部屋にいることを保証するとか。

ちゃんと投票できたか目に見えないと怖いので確認必要だと思うけど、それもいつでもじゃなくて、1日後に誰に投票したかが送られてくるとか。間違ってたら変えられるとか。

あ、単純に、期間内ならば変えられるというだけでも強制できなくなるなあ。

選挙期間、ずっと監禁し続ける? その労力と見合う?

あと、思いついたのが、住民票登録と同じ住所でしか投票できないとか。

多くの場合は自宅でしょうし、悪意ある輩が自宅に押し入って確認させよ、は拒否できるでしょうし。

 

という感じで、根詰めて考えてないけど、いろいろやり口はあると思うのです。

 

 

どうすか?

いち個人の考えだけど、絶対にダメじゃなくないですかね?

 

Rickenbacker450と青春の日々とそれは嘘

Rickenbacker450を持っている。

15年くらい前に立川のなんちゃらって楽器屋で12万円で買った。

シリアルから調べたら73年製。

 

見ての通り改造されてて、このくそかっこういいピックガードは自作でよれよれなんだけど、買ったときから改造ピックガードとピックアップだったから、俺のせいではない。

 

テレキャスターを弾いていて、バンドがおしまいになるときに放り投げて、そのテレキャスターこそが青春の象徴なんだけど、それを破壊するっていうことが青春の終わりを意味してて、でも結局壊れなかったんだけど、やっぱ別のギターが必要だよね、ということで買った。

ナットが2回くらい割れて、投げたからなんだけど、で、ロック式の金属のを無理につけて、オクターブチューニンググズグズになってしまったテレキャスに限界を感じてたこともある。

そのちょっと前にジャパンビンテージっぽいヤマハを買ったんだけど、見た目はすごくいいんだけど音は良くなくて、で、どうしようと思ってて、ちょっと良いギターほしいなと。

新バンドに誘われたころで、テレキャスヤマハでもちょっとやってたのか忘れたけど、やっぱオルタナティブだったから、なんの楽器を使えばいいのか、と思って、ジャズマスタージャガームスタングは今更という気がして、ストラトでもレスボールでもましてやポールリードスミスでもあるわけなくて、

今となっては、メテオラとかテレマスターとかスーパーソニック!とかいろいろかっこいいのあるやんけと思うけど、そのときは俺何弾くのがいいのか、と思ってて。

その迷走の中にヤマハもあるような気がするけど。

そんな流れで、デジマートで、リッケンバッカー探してたんだと思う。

当時でも25とか30とかざらで、ハウリング怖くてホロウボディはやだなとか思ってて、620とかをずっと探してたんだと思う。

で、写真のを見つけて。ピックアップはリア一発でダサいゴールドのピックガードで、最高じゃんと思っていそいそとでかけたわけですよ立川まで。

買うことしか考えてないんだけど、試走お願いできますか、って言ってよくわからんアンプに繋いで、もう音はペケペケなんですよ。

はるばる立川まで行った情熱をチャラにするくらいペケペケ。

で、これでお願いしますって。

げんきんか、クレカか!覚えたてのリボ払いか忘れたけど買って、南武線をもやもやしたまま帰って。

で、始めたてのバンド2個と、その後復帰するバンドをこれでやることになる。まあ、高い金出して買っちゃったので。

マーシャルとかに繋げればペケペケではないんだけど、やっぱテレキャスターとは全然違くて、音のレンジがものすごく狭いんですよね。

積んでた謎ピックアップのせいなのかもだけど、倍音成分が削がれててものすごいシャープな音。でも生鳴りはでかくて、なんじゃこりゃという。

改造の痕跡で、3ピックアップのザグリ跡がピックガードの下に隠れていたからなのに気付くのはものすごいあとになってから。

アンサンブルとしては、一点突破な音が良かったっていうこともあるかもしれないけど、ギターとしての良し悪しは今でもわからないまま。

弾いてくうちに慣れてはきて、セッティングもいいポイント分かってきたけど、今思ってみると、そういうもんだと思おうとしていたような気もしないではない。

 

でも、それでもね、やっぱ今でもギターとしては最高だな、と思うんですよね。

なぜならそれはリッケンバッカーだから!

というのが言いたかったんだけど、リッケンバッカーって何がいいんでしょうね。どういう意味なんでしょう。

 

Youtubeとかで調べてて、音の個性とは言うものの、例えばレスポールストラトが優等生的で嫌なんだとしたら、フェンダーにはたくさんの使えるじゃじゃ馬があるし、SGやES335とかでも個性出せるし、選択肢はいっぱいある。

そんで、音の個性としても、ジャズマスターとか、ギブソンの前述のとかのほうが明確でわかりやすい。

その上で、なぜリッケンバッカーでなくてはならないのか。

それはやっぱなぜならそれはリッケンバッカーだから、なんだろうな。

なんだろね。これは。

立川までいそいそでかけた気持ちと同じものをたくさんのミュージシャンが、ジョンレノンも持っていたように思えてならない。

 

でもグレッチとか、モズライトも似たようなとこあるな。あるな。

danelectroとかテスコもちょっとあるな。

けどやっぱリッケンバッカーが最高だな。ストラトレスポールのビンテージが最高のトーンを奏でるのと違って、ビンテージトーンなんてしらんけどっていうのも最高にかっこういいな。

リッケンでビンテージトーンなんてないもんな。

青春に似てるな。

 

というのが言いたかったことなんだけど、

最近、ふと思い立って、勢いで買ったイギリスの工房のハムサイズのシングルピックと、ミニハムにしたいという気持ちだけで買ったダンアームストロングのフロントをコイルタップできるようにして、

最高にかっこいいレッドパールのピックガードつけたら、もとの謎ピックアップよりもギラギラっとよくなった気がするので、マーシャルのでかい音で鳴らしてみたいな。

それはもう青春ではないかもしれないけど。

そもそももう当時から青春と呼ぶには遅すぎたのかもしれないけど。

 

青春のテレキャスターをデラックスに改造した話やピンクのムスタングを作った話はまた今度。

バグ密度について調べてたら

https://axia.co.jp/2017-08-16

 

ちょっと古い記事だけど。それっぽいようにとっても論理的じゃなく書かれてておもろい。

論理はクソだなという姿勢ですね。大事。

 

ということじゃない。

ここに書かれてることの問題は、バグ数/KLって指標を使ってることじゃ全然なくて、

 指標値と閾値を間違ってつかってること

っすね。

なんで指標自体が悪にされてるのかな。

 

>プログラムの可読性を向上させようとするとステップ数が増えることは当たり前のようにあります

ぬーん。一般的にライン数多いと可読性落ちると思うんだよな。

適切に改行入れましょ、とかメソッド化しましょ、とかそういうレベルの規模増の話?

ある程度コードの基準に則ってるのはプロの世界では当たり前のことなんだよな。あたしコーディング規約大嫌いだけど。

その上での可読性って、もはや設計的な話になると思うけど、大概ライン数の削減にも寄与すると思うんだな。

AOPとかOOPとか、そういう意味で。

適切に改行することや、変数名ちゃんとつけよう、とかを否定するものではないよ。超大事。

そのことと規模増は関係ないよ、って意味ね。マクロで見たら全然関係ない。

 

>プログラムの拡張性を向上させようとするとステップ数が増えることは当たり前のようにあります。

これも、ちゃんとやれば実現対象のスコープにも恩恵あるから、多くの場合ライン数下がると思うんだけどな。

百歩譲って、妄想レベルの要件に対する拡張性を求めてオーバースペックなものを作って規模あげちゃったとしたら、おっきくなっちゃうのもまあわかるけど。

#嫌味ですね、それが要求されるのはもはや機能要件ですね

だとしても、そうした作り込みにもバグを埋め込む可能性は同様にあるんでないの? と思う。

拡張性を上げると、可読性を上げるとバグを作り込まずにプログラムを書ける?

すげーな。

 

バグ密度指標ってのは、人が人だから、組めば組むほどバグを作り込んじゃうよね、っていうこと以上のものではないのよね。

それが、それなりに大きな規模の開発ならば、経験則としてこんなもんだよね、ってのはあるよね、ってだけなの。

FWによって、ツールによって、要件によって、難易度によって、メンバーによって、体制によって、期間によって、日によって、言語によって、気分によって、体調によって作り込みバグ数が変わるのは当たり前で、

それをどのように評価するか、っていう評価軸が指標値なんですよ。

だから一定なんすよ。

言語ごととか、カテゴリ単位にいくつかあってもいいんだけどね。

指標意味ないって言ってるのは、人によって身長は違うから、違うスケールの物差しで測るべき、って言ってるのと同じ。

そうじゃなくて、指標に対して、何がどう違っているのか、その要因は何か、って考えるためにあるのが指標なんですね。

 

大きな開発でマクロ的な品質分析をしたことないとかなのかな。

スケールが小さいほど、指標に対する変動が多くなって扱いにくくなってしまうからね。

対象が大きいほど、定量分析は有効。

そういう批判ならわかるかな。

とはいえ、閾値ではないんで、そういう評価になるだけだけどな。

 

対象規模に自動生成含むってのは論外。頭悪い。閾値と履き違えてるからそういうことするんですね。

そういう意味で、指標信仰やカバレッジ信仰=ゲッタセッタのテストコードね、それは悪ですね。

そこはそう思う。

ただ、品質管理ってのは一定であること、という立場も全く分からないではないので、一分の理も無い、ということもないと思うけど。

マネージメントの立場としては、工数かけてやることじゃないよ、だな。