みんなのじこせきにん

みんながみんなでみんなのじこせきにん

あいみょんラブになりつつ

なりつつなんで、ほんとにちゃんとは書かない。

また今度ちゃんと。

 

調べてて、阿呆と思ったこと。

マリーゴールドは、全然オザケンになんか似てないし、

さよならなんか言えないよ、の

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南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる
“オッケーよ”なんて強がりばかりをみんな言いながら
本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると
そして静かに心は離れてゆくと

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の2回目の、[待ってる]の、全然待ってないし、本当は、旅立ちなんか拒絶したいんだけど、そのことばっか考えてて、だから[待ってる]ようになっちゃってる感じとか、そういうレベルの感性のレンジは全然感じられないから、やっぱ似てないしパクりでもない。

そういうレンジがあるから、この詩は何度でも読める。

 

出だしの[青い空~]の引き付けもいいんだけど、その後の展開がいいからいいんだっていうのはあいみょんも絶対に分かってて、だからメロディーをちょっと拝借することに意味なんか一つもないんだぜ。

馬鹿か。

 

“愛を伝えたいだとか”が、今のとこ圧倒的に好き。

他は90年代のノスタルジーが強すぎる。

パンクスが教えてくれたこと

DIY、自分で考えること。自分で決めること。受け入れ、咀嚼し、自分の目で見ること。

誰にも頼らないこと、甘えないこと。自分の足で地面に立つこと。

逸脱を怖れないということ。

格好つけないこと、格好つけること。

感情的であれということ。感情に流されるなということ。

 

期待しないこと。自分一人しか居ないということ。

孤独であるということ。責任をとるということ。

 

恥を晒せ、声をあげろ。下がらない、逃げるな。あまったれるな、やりきるんだ。

孤立しろ、群れから離れろ。見極めろ。

そういう声がパンクスから聞こえてきて、

そういうものを後ろ盾に、サラリーマンをやっている。

35にもなって、青臭いことを言っているんだろうけど、

感情や行動の根底には、パンクスの精神があると、どうしても思ってしまう。

 

仕事しながら、パンクスが教えてくれたから判断できる、自立することができる、と思うと、

ああ、狂ってるなあ、と思う。

 

 

痛いのはいやだ、苦しむのはやだ、

だから即死。

そういう気分。

 

 

何をしたいのか、どうしたいのかをずっと問いかけてる。考え続けている。

ギター弾いてたときと同じように。

そうしてやりたいようにやってる。

長生きはできなかったとしても、それはそれで幸せなんだろうか。

戦えるうちに戦い抜きたい、というのは、大した仕事ではないんだけど、

ひとつの結論。

単純に、走り続けられることを噛み締めながら、もう少し、走り続けたいと思うんだよね。

苦労かけるけど。

相模原市周辺、全メンバー募集ただしアコースティックに限る。当方35歳男、ギターメインetc。詳細は以下参照のこと。

バンドをロストしてから、種々の多忙とともに、なんとなくもう演るのは”あがり”、と思っていたもの、

それで、むしろ、リスナーとしての解放から、例えばジャズとか、東欧、アフリカ、中南米とか、いわゆる民族系のリズムとか、あるいはブラックミュージックとか、エレクトロを再認識してみたりとか、

それまでも、リスナーとしてはそれなりに幅広くやってきたつもりだったけど、それが故、「偏っている」といつも評されてはいたけど。

 

つまり、演奏することを意図しない中での音楽との付き合いを考えた時、

受け入れ口が広がったんだと思うんですよ。

 

バンドはロストしたままで再取得するつもりもないし、

#手にしたものも、失ったものも、意味なんて無いんだよ、と言ってみる

ロストの原因が僕にあるがゆえ、ちょっとコピーバンドでもしてみようかな、というシガラミは思ったよりも強硬でめんどくさくなっちゃった。

そうやって、エモーショナルじゃない音楽をずっと聞いてきて、最高だな、と思う感覚もじわじわと、グルーブとか、グルーブレスとか、アンサンブルとか、そういう繊細なものに変わってきた。

 

それとあと、別の話として、

mac miniを手に入れてgarage bandをわざわざ入れてみたり、

バンブーサックス、横笛、カホン、シェイカーなどなどを作ってみたり、

バンドロスト以降、マニアのようなエフェクター類をだいたい売り払って、

なのに、結局買った楽器を羅列すると…

 ・KAWAI 田園百号(アコギ)

 ・ミニアコースティックギター(メーカーとかは忘れた)

 ・Yamaha Fife

 ・Yamaha トランペット

 ・Honer Blues Herp4つくらい

 ・KORG micro Kontrol

 ・aNueNue Bird-C1

 ・Auris 12音グロッケン

 ・篠笛

 ・カズー

 ・Orange Crash 10?

 ・謎の12弦ギター

(意外と打楽器買ってないね。ダラブッカかジャンベがほしい)

という、micro Kontrol以外全部アコースティック。根がマニア。

今、購入検討中は、上記トップ革が作成難しそうな打楽器と、近所のハードオフで見つけたミニシタール、それなりにまともなウクレレ

つくれないかな(なかば作ろう)と思ってるのは、ディジリドゥ、タンドラム、セルパン、となんかしらの弦楽器。

共鳴胴のためにひょうたんの飼育方法もしらべたり。

 

そんな状態で、弟が(手軽さがよいと)ウクレレを引き始めたり、ジプシー・ジャズを聞いたりしたのもあり、

モバイルインストゥルメンタルミュージックという、持ち運べる楽器での音楽、というのを思いついた。

そんでしばらくブルースハープを通勤かばんに入れていて、

いつか、隅田川の河川敷で吹いてやろうと思っていたのだけど、練習して吹けるようになるまでがなかなかモバイル感覚ではいかん。(ただ惰情)

 

そんなこんなで何が言いたかったというと、

聞く耳がエレクトリックでエモーショナルなバンドから離れているのと同時に、

演奏する欲求をまったく捨てられてないじゃん、というわけ。

 

そういう前置きで、

モバイル、とはいかないまでも、環境、拘束的にライトな、極々ライトなのをコンセプトとしたバンド活動をしたい、(そういうのいいなと思うひと、結構いてもおかしくないんじゃないか)と思っている。

 

広めの公園とかで、学生が吹奏楽の演奏をしていたり、クラシックギター練習中おじさんがいたりするのと並行して、

ミニマルアコースティックセッション、バンドをできないかな、と思っています。

当方、多分メイン器は、aNueNue Bird-C1になると思うけど、

自作カホン等、パーカッションの類と、最高すぎるAurisグロッケンは捨てがたいので叩きたい。

基本はJazz的なもので(も)いいんだけど、俺にとってのハードルが高いので、

Sigur rosとかmumとかの北欧キレイ系ドローンミュージックみたいなのをだらだら飲みながらでもやると手軽で、演るのも聞くのも気持ちよくていいんじゃないかと思っています。

 

ミニマルだから2人から、ミニマルだけど10人とか(ピアニカとかコンガとか、金管でも木管でも、電池駆動の電子楽器でもなんでもいて)の雑多な編成でもいいと思う。

感覚を共有できるひといないかな。一緒に遊ぼうよ。

という日記。

アルコール依存症とぼくと

おそらく、20代前半のころから、アルコール依存症だった。

最初の兆候は大学生の頃、

吐くためにのみ飲むために吐いていたとき、

泊めてくれるところがすぐそばにあっていつまでも飲み続けていたとき、

はじめて、どばーっと記憶がなくなってたとき。

後輩を殴ったり、殴らないでって言われたとき。

10バンドも出演するスタジオライブで、出演の前から飲んで、

演り終わってまた飲んで、タイバンがかっこ良くてまた飲んで、

打ち上げで朝まで飲んで。

そういうのと平行して社会人になって、高負荷生活の兆候とともに、川崎駅の横浜市で一人暮らしを始めて、

エロDVDを買ったり、部屋をゴミ屋敷にしたり、オナニーし続けたり、死ぬほどCDやエフェクターを買ったり、1DKで爆音でギターかき鳴らして、それを録音してなんだっけ、なんたらブログにアップして。

そういうときにアルコールはともにあって、

そんで、ずっとずっと浸食してたんだよね。

 

当時は自ら意識していたのではないけど、思い返すとアル中で、

久里浜式で12点とか、そういうことは友達に話したの覚えてる。

 

だけども、ときに会社に行かなかったり、バンドの練習はさぼったりしていたけど、

客観的にみて、会社でも、糞会社だけどそれなりに評価され、バンドでも必要な人材であったりして、

危ういバランスの中でずっとやっていた。

12000円くらいのrediohead幕張をサボったこともあるな。

youtube鳥居みゆきを見ながらウイスキーを飲み過ぎて、

それで昼からのバンドの練習に行けなくて、

そのままふて寝して、幕張にも行けなかったんだ。

heil to the thief出たばっかのころだったか。

 

数万のエフェクターをばかばか買って、カードローンとかに苦しめられて、

73年製RickenBackerを買って、

今まさに売ろうとしているLovetone Cheese Sourceを買って。

 

そういうことをウイスキーを飲みながら書いている。

 

前も書いたけど、27で結婚して子供生まれて一回まともになった。

今の嫁さんと付き合って、同棲して、煙草もやめて、多分ちょっと飲まなくもなって、子供できて結婚して覚悟決めて。

それで一回まともな「ひと」になれると思った。

じっさい、まともになったんだよ。

しばらく。

 

 

決定的なのは忘れたけど、

2人目の子供が生まれて育児休暇で3ヶ月休んで、復帰のプロジェクトでも飲んで帰らず、パートナーさんのおっさんと一緒にガールズバーでうだうだやっていた記憶があるから、そのときからすでになのか、

あるいは、

3人目の子供が生まれる前、初めて請負プロジェクトの見積り書いて、やりたい気概が先行しすぎてリソース破綻をしながら、二回目の育児休暇を取ろうとしたとき、

その矛盾と絶望と無力感のなかで、深夜の公園で9%のチューハイを飲んでいたときか。

ヒロイックなのは卑怯だな。

 

同期とか、新人ときから世話になった先輩とかがいなくなった今、

誰かを飲みに誘ったりすることはしなくて、

外で定常的に飲むことはないから、

コンビニで買って、帰り道、電車の中とか公園とか、河原とかで飲むことを覚えたのはでかい。

金も続くし。

毎日じゃないといい聞かせつつ、毎日9%のチューハイを飲み、

足りなくなると、2本、3本、家につく前に飲み、

嫁さんが起きてると、酒臭いのを隠そうと、家でもまた飲み。深夜1時に。

ヤバいから1本までにしようとして、2日だけ守って、すぐに9%じゃないのだったらと思って、飲んで、

次のコンビニで結局9%を買って。

 

そんで一回、これはやばいって、アル中日記とか買って、辞めようとしたのが、

それなりに本気で辞めようとしたのが、一昨年の12月。

一年前くらい。

お客さんの飲み会で朝帰りして、自己嫌悪と、嫁さんの説教で、本気で辞めようと思った。20代から考えて、飲み会で飲まなかったのはこの期間くらい。

あと、横浜で飲んで、東神奈川で乗り換えて横浜線乗るのに、

寝過ごして大宮まで行ってしまって嫁さんキれたとき、

その後の同窓会で飲むの禁止と言われてそれを守ったときとか、そんくらい。

禁酒サイトとか見て、吾妻ひでおアル中日記を読んで、これで辞められなかったら病院に行くという覚悟で飲まないようにした。

それでもその最中、守れんのかって、コンビニで買って飲んだのは覚えてる。

強烈な罪悪感の中で飲んで、酔いながらも次を飲まなくて、そんで辞められるって思ったのを覚えている。

 

自分の弱さが全てだから(アルコール依存症は病気だけど、強い人はならない。強いけどなったと思うなら弱さをみとめろ)、言い訳じゃないけど、きっかけとして書くけど、

弟の結婚式で、今日は飲まなきゃ嘘だって思って、吐いて、くたばるまでのんで、久しぶりに、それで、また戻ってしまった。

それが3月なか、だから3ヶ月とちょっと?

アルコール依存症の傾向の一つに、3ヶ月くらい急に辞めて、また前以上飲む、という行動パターンがある、とあって、

それにはならんぞと思って、それならまだやめられるんじゃないか、と思って、

でも結局それと同じパターンじゃねえかと思って、

そんで今。そんときからちょうど一年くらい。

仕事では、誘われるがまま飲み会に行き、

ストレスに苛まれると、コンビニでチューハイを買って、飲み、

足りなければまた飲み。

また飲み。毎日がストレスだから毎日で飲む。

 

土日に自宅ではほとんど飲まないのと、

日中、緊張を和らげるためとか、そういうのでは飲まない。

それくらいのそれだけが、俺のプライドを保っている。

 

ようやく、

嫁さんがアルコール依存症の記事読んだと昨日言って、

どうなのっつって、

俺は、まあ、アルコール依存症だよね、っていって、

 

「それとつきあっていくっていうこと?」

 

って。分からんね。

 

 

だけど、結局、今の今、

youtubeで、ino hidefumiを聞きながら、

ウイスキーを飲んでるのは最高なんだ。

今日は会社をサボったけど、それも忘れられる。

「今」のウイスキーは最高なんだよ。ね。分かる?

けんこうだいいち

27歳で死ぬのが一番かっこいと思って、結局27歳で結婚した。

バンドもやめた。

28歳で最初の子供が生まれて、34歳で3人の子供がいる。

 

家族が出来て、一番何が変わったかというと、

死ぬことが怖くなった。

 

一番下の子が大学でたら、また死んでもいいのかな、許されるかな、と思うけど。

後17年、51歳なんだよなあ。

踊り続けていられるだろうか、無理だろうな。

 

糖尿病、アル中、気狂い、腎臓病、肝臓、パニック障害神経症、の順で恐れている。

早く働けなくなればいいと思うけど、もう少しでも働き続けられなくてはいかんのだと思っている。

 

甘いものを避けても、甘いお酒を夜な夜な飲んでたら変わらんのだよ。

意外と鬱とじゃなくて、劇烈に統合失調症とかになるんじゃないか思ってる。

出来レースですよ。

 

老後の楽しみとか、話すけど、全然見えない。目の前のことだけで精一杯なのさ。

死ぬとか

仕事で疲れて土曜日の夕方に、うとうとしていたら、

寝入りばなの錯乱で、”死”への恐怖が強烈に襲ってきて、ああ、気が狂うのはこういうときなんだな、とおもった。

 

死、そのものというよりも、死への過程というか、死が起こしうる全ての想像できることが恐ろしくなったというか、

つまり、

 

例えば、時間があって、長さは主体的なものなんだけど、

年取るにつれて短くなるけど、

仮に死への瞬間、漸次式的に時間が延びていったらどうなるだろうとか、

さらに、同時に、等倍的に痛みが増えていったら、どうしたらいいのだろう、

 

その恐ろしさったらない、と思って瞬間。

生命は死を恐れるがゆえ、前者の過程はあながち間違いではない気がして、

その中での脳の反応として、痛みが増加継続する、決して慣れないというのは、

起こりうる、というか半ば想定される死の局面なのではないか。

そうしたら、今、生きていることの全てと、その死のとてつもない恐ろしさを、

比較した場合、

もう、ただ震えるしか、気が狂うしか無いんじゃないか、

という気がしたという夕方。

 

 

 

今は、冷静に思うけど、そうかも知れんな、地獄におちるな、

とも思うけど、なんとか、疲れながらも生きてます。

リズムセクション

ちょっと前にカホンを作って、ミニカホンも作って、

叩けないことに嫌気がさして、

いかんせん左手の問題なのか、ダブルストロークの問題なのか、

根本的にリズム感の問題なのか、よくわかんないけど、

左手4分、右手スネアのリズムをひたすら通勤電車で刻んでたらちょっとましな感じになってきたような、そうでもないような。

 

適当に叩くと、なんか祭り囃子みたいになってださい。

 

カホンカホンでやるとして、

ペルーの楽器なんだな、とか思って、民族楽器に足を踏みいれたら、東欧アジアやアフリカンリズムのかっこいいこと、かっこいいこと。

作れないけど、つくれないからダラブッカ欲しい。

 

民族音楽というキーワードだけで、

ツターヤワールドコーナーで借りまくった結果、

東欧、アフリカに加えて、インドや、ウイグル、ハワイアン、ジプシージャズやら、興奮しすぎる。

 

次はディジリディドゥ、かまたは、サンドラムのタンドラム、を自作。

演奏技術が追っ付かないから、ださいんだなー。